投票先について僕が考えていること。
日本人ファーストは差別か
数年前までの日本は、夜でも割と安心して外出することができた。
今はそれができないかと言われると、地域によって差があって普通に歩けたりするし、わざわざ夜中に外に出る必要もないと言われたら、それはそのとおりなんだろうけど、治安の変化は確実に起こっている。
日本で生まれ育った人と、外国で生まれ育った人とでは、倫理観とか価値観がまるで違う。外国でひとくくりにすることはできず、国によっても千差万別。
日本人の価値観が他国と比べて良いとか悪いとかいう話ではなくて、日本という土地に暮らしてきた我々日本人の生活に馴染めるかどうかの話だ。
敢えて言うけど、治安に関しては日本は圧倒的に良い。これは間違いない。
なぜか今の社会では、「日本人ファースト」というと「差別」とか「排外主義」と揶揄されてしまう風潮があるが、僕の考え方では、日本で生活するうえで、その土地にあった行動をとれるかどうかが重要だ。
これができない人たちが実質的な移民政策とインバウンドによって各地で増えていて、コロナ禍以降その数が顕著に増加していることから、日本人が国内を観光するにも、都内で買い物をするにも、そういった外国人にうんざりした結果が生み出した概念だと思っている。
で、受け入れ時の建前はどうであれ、結果的に移民を増やすとなる政策についてはすべて反対だ。
観光も無理に抑える必要はないと思うけど、そんなに観光客が多いのであれば入国の際に課税するとか、比較的に物価の安い日本でわざわざ免税して買い物をさせる必要もないわけだから、消費税もしっかり取ればいい。
まして、生活保護だとか医療費なんかを負担するなんてもってのほかだ。
現役世代が高齢者を支えるためにそれなりの割合で負担している社会保障にフリーライドさせたくないなんて、至極当たり前の意見であって、それを差別だなんだと言われるのは筋違いというものだ。
むしろ、日本人ってアジアのくくりで割と差別を受ける側の民族だと思っていて、日本人が差別をする側かと問われたら、海外より圧倒的に寛容寄りですらある。
外国人を今すぐ追い出せと言っているわけじゃなくて、「財源ガー」と騒ぎ立てるほど貧乏な国なんだったら制度設計を今すぐやり直せと言っているだけにすぎない。
多様性があるのは大いに結構。
ただ、それを強制して、「らしさ」が失われていくことを懸念しているのだ。
共生という言葉を使うのなら、他所からやってくる人に対して、日本に馴染もうとする努力も尊重もない人たちが多いから、そういう層に対してそれを言うべきだ。
例えば、イスラム教は男尊女卑が顕著な人たちだ。日本人がイスラム教について理解を深める前に、イスラム教徒に対して男尊女卑をやめろと声を上げるべき。
それができないのであれば、日本人が中国人やイスラム教徒の行動基準に合わせる必要はないだろう。
こんなことは当たり前の話で、それぞれの行動基準が違うのだから無策に受け入れを進めていけば、日本人が保ってきた秩序は簡単に壊れてしまう。
移民を受け入れた諸外国の結果からみてもそれは明らかで、ところによっては崩壊を目の当たりにしているという人もいるだろう。
それでもなお、日本人に対して行動変容を要求してくる人たちを、少なくとも僕は「左翼」と呼んでいる。
僕はそういった左翼的な思想を持っている「立憲民主党」、「公明党」もとい「中道改革連合」は一切支持しないし、かつて保守的な政党だった自民党議員の中にも、たとえば現時点での前外務大臣のように中国に媚びを売る左の人たちも多く、そういう人間をいまだに比例上位に置いているのが今の自民党なので、投票には左右のバランスを取れるような意思を表示するつもりだ。
政教分離は守られているか
ちょろっと中道改革連合に触れたので、「創価学会」にも触れておく。
安部元総理暗殺の一件で、統一教会という宗教が大いにバッシングを受けたが、日本において創価学会だけはそういった批判に晒されることはない。
そんなのは、どう考えたって筋が通らないだろう。
最近、運の悪いことに創価学会信者としゃべる機会が多くなってしまった。
その信者は、選挙が近くなるときまって「公明党を応援してほしい」と要求してくるのだ。
謎のおっさんを祀りたてることは、信仰の自由があるから好きにすればいいと思うが、政治は自分の生活に影響を与えるわけで、創価信者が意思もなく思考停止で特定政党の票田になっていることについては心底侮蔑している。
創価に無関係な我々からすれば、普段はどこにいるかもわからないぐらい透明なくせに、選挙前になると活性化して日本を左傾化させている元凶と言えるだろう。
先月も信者と会話をしたんだけど、案の定「中道を応援してほしい」と言ってきたので、テキトーに失笑して話題を流しておいた。
若者に嫌われている立憲民主党も、創価票欲しさにめでたく連合入りしている。
中道・斉藤代表「新聞は『中道伸び悩み』、しかし皆さん!中道、1週間前に生まれた、まだヨチヨチ歩きも出来ない、首も座っていない赤ちゃんでございます。これからなんです!」
— あーぁ (@sxzBST) 2026年1月30日
ヨチヨチ歩きも出来ない、首も座っていない赤ちゃんに日本は任せられません。お引き取り下さいw pic.twitter.com/ezivPifiIT https://t.co/ugx0D1TjsJ
自らを穏健派とし、対話を重視するというスタンスをとっているつもりのようだが、自分たちの立ち位置もわからなければ、代表の言うように立っているだけで精いっぱいのようなので、国会のバランスをとるためにも政教分離の原理に則って民主主義を守るためにも、正解のない投票行為には意思を込めたい。
税金は財源か
国がお金を刷らなければ、国民はお金を手にすることができず税金を払うこともできない。
その国で生活するためには、国が刷ったお金を労働の対価として受け取りながら、その取り分を一部国に戻す。
この流れがあるから、その国のお金が信用可能になって経済が広がっていく、と。
これを原則として考えるなら、お金が刷られなければ払えない税金は必ずしも財源になるわけではない。
実際には税金で運用されているという一面もあるんだけど、今の日本社会は何をするにもまず財源の話から始まり、その財源はなんでか国民の財布から抜き取られていくので、話が一向に進んでいかない。
もちろん無限にお金を刷ってしまえば信用価値を毀損するから、足りなきゃ刷ればいいだろうと言っているわけではなくて、経済の規模が大きくなれば市場に回すお金の総量を増やさなければどこかに不足が生まれると思っているから、そこら辺の設計については賢い人たちの手で改めていってほしい。
そういう意味で、僕は積極財政を支持している。
一方で、財源が不足しているというのなら、並行して支出を適正化すればいいだろう。
男女共同参画のようなクラウドファンディングなんかで集金すればいいようなことに公金を注ぎ込んでいたりする。
これって差別云々と同じで、「差別はよくありません。個人を尊重しましょう」っていう当たり前の道徳を個々人が持っていればよくて、公的な何かがわざわざ介入する必要ってないよね?と思っている。
また、少子高齢化がどんどん深刻になっていくなかで、現役世代が賦課方式で高齢者を支え続けるのはもはや不可能だ。
高齢者を支える仕事をしながら、高齢者の医療費を負担しているのも現役世代だ。
社会保険料として負担している額を減らすなり、薬や湿布をもらいに行くついでに病院で暇つぶしをするような明らかに無駄な医療行為については自己負担量を増やすとか、死生観を歪めるような現行医療制度について再設計をすればいい。
そんなことを言えば高齢者からは猛反対を受けるだろうし、人口の割合からいっても必死に投票したところで現役世代の声が押し負けるというのは目に見えているが、そうは言っても社会が限界を迎えていることは動かせない事実である。
なんなら人口ピラミッドがどんどん下細りしていくことは何十年も前から予見できていたことだ。
それを見て見ぬふりをして、昭和の遺産を平成で食いつぶしてきたのが今の高齢世代なわけで、現役世代は今、そのツケを必死に精算しようとしている。
日本人は生産性が低いみたいな言説もあったりするようだが、この状況を自己責任の一言で済ませていいのだろうか。反対の声ぐらい上げても文句を言われる筋合いはないだろう。
高齢者との対立構図は、両親を敵に回すようで好き好んでとりたいものではないが、今のやり方を変えられないのであれば今後も不安だけ抱えて先細りしていくだけなので、長期に政権を握って変化を生み出せなかった人たちではなく、それを言える覚悟のある人に投票したい。
選挙公約は守られない
これはみんな感じていることだと思う。
石破元総理から「公約を守る必要はない」みたいな発言が出てくるような人たちばかりが為政者を担っているのでどうしようもない。
選挙のたびに各党揃って「減税」を掲げておきながら選挙が終われば昼寝ばかりで、労働者層である我々の生活の負担が軽くなった試しがない。
そんな老人会を維持するための創価学会票も、過半数議席が取れれば好き勝手出来る現行の体制にもうんざりしているから、僕は少数かつ保守寄りの政党の議席が少しでも増えれば、それによって老人議員の数を減らしつつ「多様性」のある政治運営ができるようになるように、此度の選挙においても今後の選挙においてもそういう意思で投票をする。
無駄なんだけど、やるしかない
以上